銅閣寺は大雲院のことだった

銅閣寺は本当に存在した!

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金閣寺、銀閣寺は誰もが知るお寺ですが、実は銅閣寺も存在したのです。

~閣寺ってそもそも通称ですから、あっても可笑しくないのですね。

金閣寺→鹿苑寺

銀閣寺→慈照寺

銅閣寺→大雲院

「大雲院ってどこよ」って方も多いですが、画像を見て「あ~!」ってなると思います。

円山公園やら高台寺辺りを歩いた事がある方なら目にしているはず。

ここは基本的に非公開なので入ることは出来ません。

そのためかあまり知られていないのかもしれませんね。

今回は銅閣寺こと大雲院について書きましたので、興味のある方は読んで下さい。

 

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大雲院の歴史

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本能寺の変の5年後、織田信長と信忠の菩薩を弔うために正親町天皇の勅命により烏丸二条あたりに建てられました。

信忠公の法名「大雲院殿三品羽林仙厳大居士」に因んで大雲院と名づけられたようです。

その後、豊臣秀吉の命により寺町四条に移され、それからさらに時が経った昭和48年4月に祇園閣という場所(現在の場所)に移されました。

祇園閣とは

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元財閥の大倉喜八郎男爵というお方の別荘で、昭和3年に建てられました。

男爵は「わしは祇園祭をいつでも見たいし、皆に見せたい」と金持ち的な考えで、山鉾を模した祇園閣を建てました。

大雲院と祇園閣とはどういった関係かというと、縁も所縁もないようです。

大雲院の移転先がたまたま祇園閣があっただけで、そのまま建物を活用しているという事です。

銅閣寺と呼ばれた訳

当初男爵は、金閣、銀閣に次いで「わしは銅閣を建てたい」と有名な建築家に設計を依頼しました。

しかし男爵の依頼した内容は「傘が逆さまに開いたイメージで作ってくれ」という当時としては奇抜なアイデアを提案。

有名建築家は男爵のイメージがピンとこず、代わりに「祇園祭の鉾の形はどうでしょう?」と提案。

男爵は「よっしゃ!それにしよう!」とあっさり受諾、名前も「祇園閣」に。

逆さまの傘のイメージはどこへやら「祇園祭をいつでも見れる建物」という考えにシフトチェンジ。

しかし、それでもやっぱり「銅閣にしたい」という気持ちが残っていたのか、屋根は銅葺きにしました。

そんな経緯を踏まえて「銅閣寺」と呼ぶ事になりました。

優しい誰かが、男爵のために「銅閣寺」と呼んであげたのが始まりかもしれませんね。

次回予告

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銅閣寺こと大雲院の中には伝説の大泥棒「石川五右衛門」の墓があった!

何故ここに石川五右衛門が眠っているのか?

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石川五右衛門の泥棒っぷりとは?

石川五右衛門の最期は?

お楽しみに~

大雲院

住所:京都市東山区祇園町南側594−1

TEL:075-531-5018

Googleマップ:https://goo.gl/maps/KL7jd

 

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