銀閣寺・足利義政についての逸話

銀閣寺、足利義政まとめ

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先日ふらっと銀閣寺に行ってきました。

もっと色々と知りたいなあと思い勉強したのですが、ただ歴史や知識を書いても面白くないですし、教科書に載ってますしね。

もしかした正しい情報では無いかもしれませんが、逸話とは真偽が定かなものではないですし。

銀閣寺について

銀閣寺は中古物件ですね。

銀閣は新たに建てられたものではなく、中古の建物を利用したものです。

銀閣は、高倉殿の庭園に築造した攬秀亭という建物を移築したもので、現在の御所北側にあったようです。

当初は「観音殿」と呼ばれ、建物に銀箔を押した跡などはありません。

江戸時に金閣との対比として、俗に銀閣と呼ばれるようになったようです。

義政とはどんな人物

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この銀閣寺を造った義政は、同時代の人達からバカにされていた人物のようです。

京都が大飢饉に陥った際にも意に介さず、邸宅や庭園の造営に溺れるなど悪名の高さは有名ですね。

また、後の将軍となる息子義尚の彼女に手を出すという暴挙っぷり。

義政は政治にはほとんど興味はなく、お金を浪費し続け自分の趣味(芸術、女など)に没頭していきます。

そんな中、大きな事件が起こります!

応仁の乱ですね。

 

応仁の乱とは

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要するに後継争いです。

これも悪いのは、元は義政。

当時子供が出来なかった義政は弟の義視に将軍職を譲ろうとしていました。

そこにある時、子供が出来ました。そう、義尚ですね。

そこへ義政の奥さん富子が登場!「私の息子が将軍でしょ」と言い出します。

弟の義視側に細川、息子・嫁側に山名が付きドンパチが起き、京都はボロボロになります。

京都人に「最近の戦争は?」と聞くと「太平洋戦争」ではなく「応仁の乱」と言うとか言わないとか。

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銀閣寺という桃源郷

義政はというと、戦争の収集をつけることも無く、息子に将軍職を譲り、いそいそと隠居してしまいます。

そしてこの地(左京区)に銀閣寺を造ろうとします。

着工時は応仁の乱の後で、京都は疲弊しきっている中で行われている辺りからも、義政の無能っぷりが見えますね。

結局完成に8年かかり、完成直前に義政は亡くなってしまいます(笑)

でも、無能でバカにされ続けた義政の造った銀閣寺は後世に残る素晴らしいものとなりました。

政治をほったらかしにして、趣味に没頭した時間は無駄ではなかったのでしょうか。

ある意味どこかに欠陥がなければ、こういう美的センスは生まれないのかもしれません(^-^;

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「銀閣寺垣」と言われる竹垣が連なる50メートルの通路が異空間への通り道を表しているかのようです。

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その通路を渡ると、抽象庭園の傑作「銀閣寺」が現れます。

まとめ

私なりに銀閣寺、義政についてまとめてみました。

「それ間違ってるで!」「嘘つくな!」などの意見は受け付けません。

あくまで逸話レベルなので、歴史家、歴史マニアの皆さんお手柔らかにお願いします(^-^;

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