リアル一休さんの人生

ちょっと仕事の合間に一休寺こと「酬恩庵」へ。
場所が場所なだけに寂しい感じですね。

子供の頃KBS京都の再放送で見てた一休さんのお寺か~
一休さんって可愛かったな~

はうあっ⁈リアル一休さん・・・
今日はあなたについて書かせて頂きます。
決してイジリません。南無三。
一休さんは皇族
室町時代のお坊さんです。
父は後小松天皇。母は藤原一族の伊予の局(アニメで言う母上様)。
サラブレッド中のサラブレッドですね。
母が一休を身篭った際に、皇位の継承権を妬んだ人々によって宮廷を追われることになります。
追われた母は、嵯峨で一休を産む事になります。
母は一休が5歳の時、政争に巻き込まれないように、一休を安国寺に入れて出家させます。
幼少期の一休さん
ちょうどアニメの設定と同じ時期ですね。
一休が出家した安国寺は、アニメではめっちゃ貧乏寺ですが、実際は超大金持ちのお寺。
安国寺は京都5山の1つのお寺なので、あのヨボヨボの「おしょうさん」は超お偉いさんでした。
なので、近所に住む「さよちゃん」とかいう普通の女の子が寺を勝手に出入りして、みんなにタメ口で話すとか絶対出来ないと考えられます。
一休はアニメの通り才気に溢れ、あの有名なトンチ話もこの時期に生まれました。

あ、ケツ顎で有名なあの方忘れていませんか?
そうです。新右衛門さんです。
蜷川親当という実在の人物ですが、一休晩年の弟子であり、アニメとは役柄が異なるようです。
そして、安国寺で11年間修行した一休は、16歳でアニメの最終回と同様に安国寺を旅立ちます。
波乱万丈の人生はここから始まるのです。
一休の不遇時代
安国寺を出た一休は、西金寺の謙翁和尚の弟子となります。
一休はこの謙翁和尚をもの凄く慕い、尊敬していました。
そのため和尚が亡くなった時はあまりの悲しみに、入水自殺を図ったほどでした。
運良く助けられた一休は、翌年から大徳寺高僧の華叟禅師の弟子となります。
しかしこの師匠が曲者でした。志は高いあまり餓死寸前まで庵は貧乏だったのです。
一休は内職をして庵の家計を支えていたといいます。
師匠はそんな一休を後継者と認めました。
その証として印可状を授けようとしたのですが、地位や名誉、権威などに否定的な考えを持っていた一休は、これを受け取りませんでした。
そんな一休を表すエピソードがあります。
大徳寺7世の追悼法要という大イベントがありました。
もちろん皆さん正装でお集まりですが、一休はボロ布をまとって参列したそうです。
このあたりから「一休は変なやつ」と僧の中では噂され始めます。
一休 Go the distance

その後師匠の死をきっかけに貧乏庵を出た一休は、庶民など色んな階層の人達に仏教の教えを説くため、近畿中を行脚します。
そしてまた事件が起きます。
あの曲者の師匠(亡くなっています)が認可状(大徳寺の後継者の証)を残していたのです。
それに憤慨した一休は認可状を燃やしてしまいます。
認可状焼失事件がきっかけの一つになり、派閥争いが起き、投獄者や死者が出てしまったのです。
責任を感じた一休は、山に籠り断食死を図りますが、天皇の説得により思いとどまります。
一休寺建立
62歳の時、尊敬する僧が建てた寺が戦火で焼かれてしまいます。
恩返しの為にと荒廃した寺を再興してみせます。
これが酬恩庵、通称「一休寺」です。
そして一休73歳の時、運命の出会いが訪れます。
お相手はなんと20代の美人芸人。
一休はもうベタ惚れです。
「腸がはちきれんばかり美しい」と表現しています。
晩年の一休は残りの10年間、その女性と「一休寺」を愛の巣として過ごし、お世話をしてもらい一生を終えます。
何と最期の言葉は「死にとうない」
2度も自殺を図った人とは思えない言葉ですね。
やはり若い恋人ともっと居たかっのでしょうか。
めでたしめでたし。
酬恩庵

住所:京都府京田辺市薪里ノ内102
Googleマップ:https://goo.gl/maps/vqqAm