歴史上最大の花見ベント「醍醐の花見」

もてなした義演、もてなされた秀吉
歴史上最も豪華だと言われる「醍醐の花見」
それを主催したのは、醍醐寺の偉い偉いお坊さん義演。
そしてスペシャルゲストが豊臣秀吉。
何故こんな大イベントが行われたのでしょうか。
その理由は義演と秀吉の密接な関係にあったようです。
義遠の二条家は代々関白を輩出する家柄でした。
当時、義演の兄が関白を勤めていましたが、ある日、秀吉が「わしが関白をやりたい」と突然宣言します。

征夷大将軍ではなく、関白になりたかったのは一説によると関白のほうが単純に位が上であるから(もちろん色んな説がありますが、複雑過ぎるのでここでは触れません)
そのわがままな突然の関白宣言にも関わらず、二条家はあっさりと秀吉に関白の位を明け渡します。
そして秀吉の命により義演は准三后という補佐役に着くことになります。
そのような経緯があって、秀吉は義演と密接な関係になっていきます。
醍醐寺改修

醍醐寺は応仁・文明の乱によってボロボロでした。
醍醐の花見前年に醍醐寺を訪れた秀吉は、桜を観賞しています。
その時の美しさが忘れられなかったのか、さらに翌年二月、再度訪れて「仁王門」の修理などを命じます。
五重塔の修理に着手して以降、金堂、金剛輪院(現在の三宝院門跡)など、醍醐寺の再興が異例の速さでみるみる進んでいきます。
ここまでして貰っては「秀吉様をもてなさなければ」と義演は思ったに違いありません。
一大イベント開催

1598年3月15日遂に「醍醐の花見」が盛大に始まります。
諸大名は伏見城から醍醐寺までの沿道の警備や、会場に設営された8つの路地茶屋(パビリオン)の運営などにはあたりました。

招かれたのは約1300人。
しかし招かれたのはほとんど女性ばかりでした。
無類の女性好きと呼ばれた秀吉に対して最高のおもてなしを図った義演。
年老いた秀吉でもウハウハであったに違いありません。
参加した女性は2回の衣装替えを命じられ、1人3着の着物が新調されたようです。
衣装代だけでなんと39億円!
花見全体ではいくらかかったのでしょうか(*_*)
ヨボヨボのおじいちゃんであった秀吉も飲んで踊ってそれはそれは楽しい時間を過ごしたことでしょう。
そしてその5か月後、秀吉は亡くなってしまいます。
義演は秀吉の最期が近いことを感じ取り、英雄の最後にふさわしい大舞台を用意し、あちこちに手配をし、「醍醐の花見」を実現させたともいわれていますね。
ちゃんちゃん。
豊太閣花見行列

「醍醐の花見」にならって毎年4月第2日曜日に「豊太閣花見行列」が開催されます。
地元の経済人や文化人の重鎮から秀吉役を選んで行われています。
「醍醐の花見」がどんなものだったのか知りたい方は、このイベントに参加するのが良いですね。
醍醐寺
住所:京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL:075-571-0002
Googleマップ:https://goo.gl/maps/FWtha

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