元人気No.1仏光寺のお話後編

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後醍醐天皇の勝手もあって仏光寺と改名されましたが、人気は衰える事はありません。
そんな状況でも了源は天狗になったり、胡座をかいたりすることなく、布教活動を地道に行い続けるのでした。
その布教活動は近畿圏内にとどまらず、東海地方まで及びました。
分かりやす過ぎる教えに信者は増える一方。
しかし、人気が高まれば高まる程、それを妬むアンチの憎悪は深まっていきます。
了源の神対応

そして寒い寒い冬の日、了源はアンチから依頼を受けた悪名高い鈴鹿の山賊に襲撃され、伊賀の山中で命を落としてしまいます。
了源は死の寸前、自らの血で衣の袖にこう書きます。
「我が死は宿業である。この者を罪することなかれ、回心の気あり、よく後生を教うべし」
要するに
「私の死は、前世に悪事を働いたことによる報いであるから、この者を罪に問わないでほしい。教えを聞けば必ず改心出来る」
と書き残して、仏光寺のある方に向かって合掌した後、亡くなってしまいます。
その姿を目の当たりにした山賊は「えらいことしてしもた」と後悔します。
「あわわ」となりながらも山賊は了源の遺体を、近くにあった桜の木の下に埋めます。
そして、山賊は自首するために血文字の衣手紙を持って仏光寺へ行きました。
衝撃の一報を聞いた弟子たちは早速、現場へと向かいます。
そして了源の遺体を火葬し、その場にお墓を建てました。
すると、なんということでしょう!
近くにあった桜が真冬であるにも関わらず、綺麗に花を咲かせましたとさ。
ちゃんちゃん。
ちなみに、実行犯の山賊はどうなったのでしょうか。
普通に御用になったのか、仏の道へ行ったのか、それともホウキで袋叩きになったのか。

そんな事言わんといて下さい。
欲に塗れたは私は人として生きれてないのでしょうか、了源さん。
仏光寺
住所:京都市下京区新開町397
TEL:075-341-3321
Googleマップ:https://goo.gl/maps/S4I8i